絶好調の観光業界に潜む課題とは?今こそ「観光DX」が必須な理由


日本の観光業界は今、空前の活況に沸いています。日本政府観光局(JNTO)の発表によると、2025年9月の訪日外客数は326万6,800人と、9月として過去最高を記録し、同月として初めて300万人を突破しました。さらに、2025年の累計訪日外客数は9月までに3,165万500人に達し、史上最速で3,000万人の大台を超えるなど、記録的な伸びを見せています。 

しかし、この好景気は本当に持続可能なのでしょうか?新型コロナウイルスのパンデミックは、観光業界のオペレーションを突如として停止させ、その脆弱性を浮き彫りにしました。ある業界分析が指摘するように、このパンデミックは「観光セクターの非効率な実態に対する警鐘(wakeup call to the reality of the not-so-effective state of the tourism sector)」となり、根深い構造的弱点を露呈させたのです。

本記事では、この活況の裏に潜む課題を分析し、なぜ今こそ「観光DX(デジタルトランスフォーメーション)」が、業界の未来にとって不可欠なのかを解説していきます。

観光ブームの「光と影」:現在の状況

現在の観光業界は、輝かしい成果と深刻な課題が同居する、まさに「光と影」の状態にあります。

観光客でにぎわう清水寺の参道
観光客でにぎわう清水寺の参道

光:活況に沸くインバウンド需要

ポジティブな側面は、力強いインバウンド需要に牽引された好景気です。帝国データバンクの調査によれば、観光産業の景気DI(景況感指数)は、2023年3月から18カ月連続で全産業の平均を上回っており、業界全体のビジネスセンチメントは非常に高い水準で推移しています。

影:好景気の裏で深刻化する課題

一方で、この活況はいくつかの深刻な課題を生み出しています。

  • 深刻な人手不足とオーバーツーリズム: 帝国データバンクのレポートが指摘するように、急増する需要に対して現場の人員が追いつかず、労働力不足が深刻化しています。同時に、一部の観光地ではオーバーツーリズムが大きな経営課題となっています。
  • 地域による恩恵の偏り: 観光ブームの恩恵は、全国に均等に行き渡っているわけではありません。特に地方からは「インバウンドの効果は限定的」との声も聞かれ、都市部と地方との間で格差が生じています。
  • パンデミックが露呈した脆弱性: COVID-19によって業界全体が停止した経験は、観光セクターがいかに外部環境の変化に弱いかを露呈しました。このパンデミックは、業界の非効率な状態を再認識させる「警鐘」となり、構造的な改革の必要性を示しました。

これらの課題は個別の問題ではなく、業界の旧態依然としたアナログな事業モデルが引き起こす、相互に関連した症状です。このままでは、現在の好景気を持続させることは極めて困難であり、業界の長期的な存続そのものを脅かしかねません。

そもそも「観光DX」とは?

「観光DX」と聞くと、単にITツールを導入して業務を効率化することだと考えられがちですが、その本質はもっと深層にあります。

観光DXとは、デジタル化によって収集されるデータを分析・利活用し、ビジネス戦略の再検討や新たなビジネスモデルの創出といった改革を行うプロセスです。その最終的な目標は、観光を通じて地域経済を活性化させ、持続可能な**「稼ぐ地域」**を創出することにあります。

観光庁は、観光DXの実現に向けて、以下の4つの柱を掲げています。

  1. 旅行者の利便性向上・周遊促進
  2. 観光産業の生産性向上
  3. 観光地経営の高度化
  4. 観光デジタル人材の育成・活用

これらの4つの柱は独立したものではなく、相互に連携した戦略的フレームワークを形成しています。例えば、データ活用による「観光地経営の高度化」は、旅行者のニーズを的確に捉え、「旅行者の利便性向上」に直接的に貢献します。次章では、この4つの柱をフレームワークとして、なぜ今、観光DXが不可欠なのかを具体的な事例とともに解説します。

なぜ今DXが必要なのか?4つの視点から解説

ここでは、旅行者、事業者、観光地経営、そして持続可能性という4つの視点から、観光DXの必要性を掘り下げていきます。

【旅行者の視点】体験価値と満足度を向上させるために

  • 課題: 現代の旅行者は、情報収集から予約・決済までオンラインで完結するシームレスな体験を期待しています。しかし、多くの観光地では情報発信が不十分であったり、オンラインで手続きが完結しなかったりするケースが少なくありません。また、箱根地域の調査では、国内外の旅行者双方から「道路渋滞」が大きな不満点として挙げられており、慢性的な交通渋滞が旅行体験の価値を大きく損なっています。
  • DXによる解決策: 神奈川県箱根町の**「箱根温泉まるごとDX事業」は、この課題に対する優れた解決策を提示しています。このプロジェクトが提供する多言語(日・英・中・韓)対応のデジタルマップは、旅行者の体験を劇的に向上させます。単に現在の混雑状況を示すだけでなく、AIによる交通渋滞の「予測」**までを提供。旅行者はスマートフォンで、目的地の駐車場の空き状況(例:「空あり/最大146台」)や、飲食店の待ち行列(例:「待ち組数 2組」)をリアルタイムで確認できます。これにより、旅行者は混雑を賢く避けながら周遊計画を立てることができ、ストレスのない快適な旅行体験が実現します。

【観光事業者の視点】人手不足を克服し、生産性を高めるために

  • 課題: 帝国データバンクの報告にもあるように、観光業界は深刻な人手不足に直面しています。にもかかわらず、多くの業務が非効率なアナログ手法に依存しています。例えば、しまなみ海道のレンタサイクル事業では、従来、利用者は紙の申込書に手書きで記入する必要があり、手続きに時間がかかるだけでなく、スタッフの負担も大きいという問題を抱えていました。
  • DXによる解決策: 帝国データバンクが指摘する深刻な人手不足の時代において、広島県尾道市と愛媛県今治市などを結ぶ**「しまなみ海道活性化事業」の取り組みは、単なる効率化ではなく、事業の成長と存続をかけた重要な戦略です。申込プロセスをオンラインシステムに移行し、キャッシュレス決済を導入したことで、貸出にかかる時間が短縮されました。これにより、限られた人的リソースを申込書処理のような単純作業から解放し、より付加価値の高い顧客対応に集中させることが可能になりました。さらに、予約データの活用で貸出拠点の在庫が最適化され、予約上限数を300台から476台へと大幅に拡大。これは直接的な売上増**につながっており、DXが生産性向上と収益拡大を両立させることを証明しています。

【観光地経営の視点】データに基づいた「稼ぐ地域」をつくるために

  • 課題: 多くの観光地域づくり法人(DMO)や自治体は、集約されたデータが不足しているため、長年の経験や勘に頼った観光地経営を余儀なくされています。これでは、変化する市場ニーズに迅速に対応し、戦略的で効果的な施策を打つことは困難です。
  • DXによる解決策: 福井県の観光DXプロジェクトは、データに基づいた「稼ぐ地域」創出の先進モデルです。県が構築したデータマネジメントプラットフォーム(DMP)「FTAS」は、県内の宿泊予約状況やデジタルクーポンの利用データなどをオープンデータとして地域事業者に公開しています。これにより、例えば恐竜博物館周辺の土産店主の意思決定は、「週末は混みそうだから、多めに仕入れておこう」という経験と勘に基づく推測から、「FTASによると、土曜日の恐竜博物館の予約者数は2,500人だ。スタッフを2名増員し、恐竜関連グッズの在庫を30%増やそう」というデータに基づいた戦略へと変貌します。これこそが「稼ぐ地域」の本質なのです。

【持続可能性の視点】観光客の分散とサステナブルな観光を実現するために

  • 課題: 観光客が特定の有名観光地に集中することで、オーバーツーリズムが発生し、地域の生活環境や自然環境に過度な負荷がかかっています。一方で、魅力がありながらも観光客に知られていない地域も多く、政府が掲げる「地方誘客促進」が重要なテーマとなっています。
  • DXによる解決策: 京都府北部の7市町が連携する**「海の京都データ交換所プロジェクト」**は、持続可能な広域観光を実現する革新的な事例です。このプロジェクトでは、ふるさと納税の返礼品として地域デジタル通貨「海の京都コイン」を発行。旅行者はデジタルマップ上でコインが使える店舗を探しながら、広大なエリアを周遊するよう促されます。この仕組みにより、観光客は天橋立のような主要な観光地だけでなく、周辺の7市町にも足を運び、経済効果が広範囲に行き渡ります。特筆すべきは、海の京都DMOがふるさと納税の寄付額や決済手数料の一部を収益として得ることで、DMO自身の自主財源確保につなげている点です。これは、DXが単なるサービス提供に留まらず、DMOの運営をも支える持続可能なエコシステムを構築できることを示しています。

観光の未来はDXにかかっている

記録的なインバウンド需要に沸く現在の観光業界は、大きなチャンスを迎えています。しかしその裏では、人手不足、地域間格差、オーバーツーリズムといった深刻な課題が山積しており、これらを解決しなければ持続的な成長は見込めません。

本記事で見てきたように、観光DXはこれらの課題を克服するための最も効果的な処方箋です。それは単なる技術導入ではなく、データ活用を軸とした、より強靭で、収益性が高く、持続可能な産業への根本的な変革を意味します。日本の観光業界にとって、もはやDXを導入すべきか否かを議論している段階は終わりました。問われているのは、現在の活況を一過性のブームで終わらせず、持続可能で、収益性が高く、強靭な未来へと転換するために、いかに迅速かつ包括的にDXを実装できるかです。

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